病院勤務の理学療法士が仕事で獲得したコミュニケーション術

プロフィール

 

こんにちは。レモンのみみです!

介護福祉士/理学療法士/メンタルヘルスマネジメント検定Ⅲ・Ⅱ種

施設・病院勤務で培った経験を活かし、コミュニケーションのお悩みや、無理している自分を少しでも楽にできるお手伝いができればと思っています。

また、最近では精神疾患にかかる人も増えています。

世界精神保健調査では、我が国の精神障害へ罹患する生涯有病率が22.9%であり、精神疾患は誰でも罹患しうることが報告されています。


引用:厚生労働省

「生涯を通じて5人に1人は何らかの精神疾患を経験する」と言われています。私も精神疾患をもつひとり。この経験が困っている人のためになれるようにとサイトを立ち上げました。

自分を大切にした生き方をしませんか。

生い立ち

雪国で生まれ育つ。幼少期は外で遊ぶことも好きでよくケガをしていましたが、風邪を引くことはほぼなく、健康優良児でた。好き嫌いもなく、よく笑い明るく元気な子ですが(成績表にも明朗快活といつも書かれるくらい)人見知りもするちょっぴり内気な面もありました。

初めて買ってもらったカセットテープ(時代を感じますね。笑)は光GENJIの「パラダイス銀河」。本当に嬉しくてずっと聞いていました^ ^ 家族で車で出かける時に車内で聞く事が多かったですが、超がつくほど車酔いする子だったので乗って5分で眠っていましたけど。笑

上京

高校卒業後は地元で就職するも、都会に憧れて「よし!東京に行くぞ!」と10万ほどの(少なっ⁉︎)貯金を持って19歳で上京。就職先が決まっていた訳でも、住む所も決まっていた訳ではなく、ただただ勢いだけでしたが、彼氏と同棲している友人が「来てもいいよ!」と言ってくれて、1ヶ月お邪魔しました。今思うとかなり図々しかったですね…。

フリーターで生活するも、何かちゃんとした仕事に就かないとなーと思っていた時に福祉・介護の仕事に出会う。「社会貢献」の言葉に、自分も世のため人のために何か役に立ちたい!!!と思い応募する。

19歳で天職に出会う!?

無事採用され、訪問入浴の仕事に就く。利用者さんや利用者家族の方からは「ありがとう!」と感謝され、人から感謝される事にやりがいを持ちこの仕事は天職だ‼︎と思うようになりました。厳しい師匠につきましたが、細かい所まで意識できるようになり、仕事への責任感も培われていく。無資格でもその仕事に就く事はできましが、利用者さんの家族から「何か資格はお持ちなの?」と聞かれる事もあり資格を持っていないとダメなのか……と思いヘルパー2級を取得。それだけで自信満々に働いていました。笑

汗だくになる仕事のため5kgほど痩せる!(上京して10kg激太りした私( ;∀;))

休憩時間に食べるチョコジャンボモナカは唯一の楽しみでした。人間関係には恵まれていましたがぎっくり腰と坐骨神経痛を発症しアルバイトへ変更するも、生活していくのが厳しく泣く泣く退職。19歳で腰痛になるなんて~、聞いてないよ~。泣 

その後再びフリーター

時給の良いアルバイトを転々とし、またもやちゃんとしないとなー、と考え始める。何もない自分が持っているのはヘルパー2級の資格だけ。それを武器に介護・福祉の派遣会社に登録。派遣先は特別養護老人ホーム、デイサービス。施設で合計7年ほど勤めました。派遣先では即戦力!いかに使い物になれるか、そうじゃないと更新されないだろうと、必死に仕事ができる女になろうと頑張っていました。そして「介護福祉士」の資格も取りました。その後に理学療法士という仕事を知りました。初めてやりたい!と思えた仕事に出会えて嬉しかったのを覚えています。

社会人になってから27歳で専門学校入学

1年貯金して来年から専門学校に通おうと思っていましたが、どんな試験問題が出るのかお試し受験をすることに。しかし運が良いのかどうなのか、定員割れにて合格してしまいました(゚∀゚) しかし入学金のお金はない…。そして家族にも頼めない…仕方がないので借金をすることに。(ヤミ金ではなく、日本生活金融公庫です。授業料は昼間の仕事と奨学金で何とか…)お金って何とかなるんだなと思いました。

クラスメイトの年齢は様々で20代~40代。夜間学生は私と同じように昼働いている人が多く頑張れましたが、周りができる人ばかりで場違いだったか!?と思う事もしばしば。でもここで学んだ事は専門性ももちろんですが、自分の意見が絶対ではないという事。私は友人からも言われるほど頑固一徹?のようで(自分で気づいていないから重症ですね)自分の意見が正しいと思い込んでいました。しかし様々な年代の人と話すことで、自分の知らない世界を知り視野が広がり、自分が絶対!というのは間違っていた事を学び、他の人の意見を受け入れられたり、客観的に物事を見れるようになっていきました。

理学療法士として病院へ就職

無事4年間のカリキュラムを終え卒業試験、国家試験合格。私は頭が良くないのでギリギリ合格ライン。(卒業試験も1度不合格。2度落ちると卒業できない…。)でも受かった事は事実。点数が高かろうが低かろうが同じ有資格者! ワーイ‼︎ 

理学療法 資格証

そしてとにかく同期(現役生)には負けたくない気持ちで、自己研鑽に励む日々。勉強すればするほど、知識も技術もあがり患者さんへ貢献できる事が楽しく、仕事にやりがいを持っていました。ライバル視していた同期とはいつの間にか切磋琢磨できる仲間となり、良き相談相手、良き飲み仲間になり、熱く語り合う事も。ここでの経験は私のアイデンティティを大きく成長させてくれました。

臨床以外にも、所属部署が良くなるように、企画立案したり、教育・人材育成へも取り組んでいく。

そして役職になり異動するもその半年後に体調不良となり…。

結婚・流産・適応障害発症

理学療法士になってから彼氏はできず、結婚は諦めていました。しかし34歳の時に現在の夫と出会うも出産を考えたら悠長に付き合っている時間はないため、「年齢も年齢だから結婚を前提に付き合ってほしい‼︎ そして1年後結論を出してほしい‼︎」と条件付きでお付き合いをスタート。本来は恋愛に消極的な私ですが、その時は積極的にアプローチしました。笑 無事1年後にプロポーズしてくれるも紆余曲折あり、お付き合いして5年後の2020年に結婚。

結婚 

仕事では役職につき部署異動もあり今までとはちょっと違う環境。仕事も妻としても頑張るぞ!と意気込む日々。しかし役職と言えど、プレイングマネージャー的なため、今までの仕事にプラスで管理職の仕事が入ってくる。毎日ほぼ残業で以前より2倍以上、そしてコロナ禍になり出かける事もできず休みの日も自宅で仕事をする日々。料理好きだったが自炊も少なくなり、コンビニ弁当で済ませたり、ストレス発散のため毎日のようにお酒を飲んで喫煙量も増えていく。(現在はNo喫煙です)でも

体調を崩すことはなく半年が経過。やっと慣れてきて仕事も大丈夫かなと、ふと力が抜けた時に妊娠発覚するも自然流産。悲 そしてその1ヶ月後、メンタルが崩れ適応障害と診断。Drストップがかかり1年休職となる。自宅療養を経てリハビリ施設へ通所し、1年後再び復職するも自分を大切にした生き方をしようと思い退職する。(復職後再び妊娠するも自然流産。泣 今は元気に過ごしています!)

自分が何を優先したいのか

休職中にリワークというリハビリ施設へ通っていました。(リワークとは精神疾患で休職し、復職を目指している人を対象としたリハビリ施設の事)そこで認知行動療法やマインドフルネス、病気に関するレクチャー、運動療法、コミュニケーション、グループワーク等々、自分を見つめ直す中で、自分はどう生きたいか、何を優先した生き方にするかを自分なりに考えるようになりました。

私は料理を作る事が好きです。最近夫に聞いたBest3は、1位はスパイスカレー、2位はナポリタン、3位は鶏の手羽元とじゃがいもの煮込みだそうです。ビールやワインを飲みながら美味しいご飯をいただきたまには友人を招き食事しながらのおしゃべりも楽しい。同時に器にも興味を持ち、見て回るのもワクワクする時間です。そして本、雑誌を読むのも好き。ハマると本は何冊も買います。最近好きになったのは小川糸さん。「針と糸」を読み、家族の事や暮らし方など共感する事が多く好きになった作家さんです。そして「食堂かたつむり」「昨日のパスタ」も買いました。やっぱり食に関する事が好きなんだなと改めて自分を思いました。笑

雑誌は「&premium」が好きで、中でも台所関係を読みあっさてます。とにかく他所様の台所事情について掲載しているものはほとんど買い込んでいます。笑 何度も読み返しながら、自分の理想の台所をいつか完成させたいと思っています。

そしてヨガも好きでヨガを始めてから15年ほど経っていました。最近はヨガインストラクターにも興味を持っています!もう少し身体の使い方が上手くなれるようになりたいです。

ハワイ旅行に行った時に砂浜ヨガに参加した時の写真です。砂浜なのでバランスを取るのが難しかったですが、楽しくてとても良い思い出です。

他にも家族との時間が好き、一人の時間も好き、仲間とワイワイするのも好き。色々私の好きを並べましたが、中でも自分の経験が困っている人の役に立てる事が嬉しい。私自身も精神疾患になりたくさんの事を調べました。当事者の声を聞き本当に助けられました。誰にも相談できずに悩んでいる人もいると思う。自分自身の事なのにどうしていいのか分からない人もいるんじゃないか。そう考えた時に悩んでいる人に大丈夫だよ!と伝えたい。自分を大切にする方法、私の経験を伝える仕事をしたいと思いました。

頑張りすぎている人、困っている人に少しでも私の経験がヒントになれるサイト

施設・病院時代で培ったコミュニケーション能力、適応障害になってその後に社会復帰できるようになった経験を伝えていきたい。頑張り過ぎている事すら気づかない人も多くいます。私もそのうちの一人でした。精神疾患を発症した時も意味もなくただただ悲しい。そればかりで毎日涙を流していました。でもやっとその涙のわけがわかった時には嬉しかったし自分を大切にして、いい感じの自分で過ごそうと思いました。

私のその涙のわけは「辛い…。」だったのです。えっ!?という感じですよね? 

日々辛い、辛いと言ってるんじゃないかと。でも本当に辛い、きつい時ってわからないんですよね。

辛いという感情にたどり着くまで1年近くかかりました。

私もびっくりですが、それほど自分の感情に蓋をして前に進むことばかりを考えていたんです。これが終われば楽になる、進むんだ!って。でも楽になっていなかったみたいです。

辛い。この2文字が私の奥底に埋もれていたんです。それが分かってからは本当に楽になりました。

それからは自分の感情を認める。ただただ受容するだけで楽になっていきました。もちろん、他にもたくさん対処方法はあります。

あなたも自分を大切にした生き方しませんか。

私が大切にしていること

人とのコミュニケーションは一方通行ではありません。

会話のキャッチボールや言語、非言語、間の取り方等々たくさんの事があります。

私はお互いに嫌な気持ちにならないような会話を心がけていますが、でも気にし過ぎる事もしないようにしています。

そして自分の気持ちを大切にして自分と向き合うようにしています。

そんな私の方法を知りたい方にサポートできればと思っています!

ひとつひとつ解決していきましょう。

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最後までプロフィールをお読みいただきありがとうございました。

これからもレモンのみみサイトをよろしくお願いいたします!

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